2017-06

「馬毛島写真展」終了しました。 - 2012.03.26 Mon

「馬毛島写真展」は、おかげさまで、一週間の日程で無事、終了致しました。
あまり告知が行き届かなかったにもかかわらず、予想以上の多くの方にご来場いただき、盛況のうちに幕を閉じることができました。
昭和中頃の暮らしぶりを懐かしく回顧される方、美しい島の自然に感動される方、人々生活史がかつてそこにあったことに驚かれる方、ご高覧いただいた方々の反応はさまざまでしたが、やはり共通して、馬毛島の文化と自然を守っていかなければいけないとの思いを抱いていただけるきっかけとなりました。
開催に際し、貴重なお写真を拝借させていただ皆様、ありがとうございました。


来場された方のメッセージを一部掲載させていただきます。

・こんな島があったなんて!が、まず最初のおどろき。本土で知っている人は、歴史学者くらいでしょう。いつの世も、国に翻弄される者たちがいて、苦しみがあることに心が痛みます。もっと広く世にしらしめて下さい。

・鹿の成長の様子を見て、厳しい自然環境の中で懸命に生きる姿が見られました。人間に生まれず、このような島で生活することになっていれば、このような世界を目のあたりにすることができたと思いますが・・・。このような美しい自然が、いつまでも続いていくことを願います。美しい文化と自然をありがとうございました。

・まだ学校が存在する頃、馬毛島に遊びに行き、イソモノを5㎏ゲットした事があります。あの頃の海草がユラユラゆれる中にイソモンが大きく大量に生息していたことを“夢”?とも思えるほどです。本当に馬毛島は時代の波にいつも利用され、金もうけに悪用されようとしてきて、今に至っています。馬毛島の自然を守ることは、人間を守ることにもつながることです。金に目がくらむ人たちの手に絶対に渡してはなりません。みんなでこの島を守れるように声を広げたいですね。

・昭和初期から半ばの頃の島の生活がかいま見れました。「懐かしかねぇ」と、くいいるように写真の細部に目をやるお年寄りの姿が会場にありました。自然とともに、自然を敬い、自然の幸を得て暮らしていた時間は、決して遠い昔の物語ではありません。この島が、米軍基地へと姿を変え、固有種である鹿を絶滅させ、過去の歴史をぬぐい去ってしまい、果ては種子島や屋久島を始め、三島や奄美などの離島で生きる人々の細々とした穏やかな暮らしを戦闘機の騒音でおびやかすなどという国の方針は間違っていると思います。今こそ、私たちは馬毛島から学ぶことがたくさんあるような気がします。

・人がいなくなり、森が壊されてしまった現在の馬毛島の姿は、ひとつ間違えば、未来の日本の姿になるかもしれません。この写真展はそのことの警鐘を鳴らしてくれているのではないか、と思いました。モノクロ写真に写った子供たちの笑顔、その素朴な笑顔はもう戻ってこないのでしょうか?人がいなくなった島で、ブルドーザーの音に恐怖を覚えながら生息し続けた鹿たちの悲しげな声が聞こえてきます。これ以上、この島を破壊してはいけません。馬毛島が元の緑と子供たちの笑顔を取り戻せるようにしなくてはいけないと心から思いました。


馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて
会場の外から見える風景



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ネットでも見れる馬毛島の風景・古写真 - 2012.03.19 Mon

ふるさと種子島http://www.furusato-tanegashima.net/index.htmlの管理人の方から了解を得てネット上で
馬毛島の風景・古写真
http://www.furusato-tanegashima.net/tg/mageshima-now.html
を紹介する事ができました。
貴重な写真が数多く掲載されていますのでどうぞ、こちらもご覧下さい。



馬毛島写真展開催、本日より屋久島にて - 2012.03.17 Sat

馬毛島写真展



翻弄され続ける宝の島 馬毛島の歴史

 種子島の西12キロ、屋久島の北およそ40キロに位置する馬毛島は、黒潮の恵みを受けた豊かな漁場として、あるいは種子島家家臣の猟場として、さらには、磯もん採りで過ごす人々の憩いの場や子供たちの環境学習のフィールドとして、長く熊毛の奥座敷的な存在でした。そこには、ウミガメや巨大なヤドカリ、数種類のメダカ、そしてアカショウビンやヒバリなど400種以上の野鳥が集い、固有種とされるマゲシカが駆け回るまさに「宝の島」でもありました。
 この馬毛島に本格的に人が住み始め集落が生まれたのは戦後になってからです。人口増加の受け皿として、また食糧生産源として、日本政府が開拓を奨励した結果、最盛期には528名(113世帯)の人々が暮らしを営む島になりました。小中学校もでき、人々は主に稲作やサトウキビの栽培、トビウオをはじめとする漁業、薬草や海藻を採取して生計を立てていました。
 しかし、1960年代になると、国は方針を覆し、とりわけ米の生産量を削減。1970年代には、投資家が徐々に土地を買い上げ、住民は次々と土地を手放すことになり、1980年には島の学校も閉鎖され、馬毛島は無人島となりました。
 その無人化した島をめがけて、次々と開発の青写真が構想、導入されては消えていきました。観光開発(「馬毛島海洋レジャーランド」)、自衛隊のレーダー基地(1983年)、石油備蓄基地(1984年)、核燃料中間貯蔵施設(1999年頃)、日本版スペースシャトル「ホープ」の着陸地(1990年後半から2008年)・・・そして米軍艦載機FCLP離発着基地(2011年~)。
それは、まるでこの島が多くの投機的投資の対象とされ捨て去られ、行方も定まらないままに翻弄され続けた無情の時の流れとも言えます。そして今、新たに軍事利用へと舵をとられようとしています。
 所有権が(99%以上)が一開発会社に集中した結果、行政や研究者、ジャーナリストが調査を希望しても、その扉は堅く閉ざされたままという状態が続いています。いつの間にか、10年前には441ヘクタール存在していた緑豊かな森が10分の4まで縮小され、そこに悲しみの十字架のように長い2本の滑走路が交差しているのが現状です。
 かつてこの島には、トビウオ漁やサトウキビ栽培に励む漁師や農民の姿があり、磯もん採りに夢中になる子供たちの笑顔がはじけていた時代があったこと。それが、そう遠くない頃のことであったこと。この島に住んでいた人々の歴史を私たちは忘れてはいけないと思います。
 この写真展は、種子島鉄砲館を始め、種子島在住の多くの方のご協力によって開催することができました。ここに改めてお礼を申し上げます。

馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会


馬毛島の航空写真、今昔 - 2011.06.22 Wed

最近の馬毛島-2
2011年6月頃の写真

最近の馬毛島-1
2011年6月頃の写真


2008年7月の馬毛島
2008年7月の馬毛島

昔の馬毛島
昔の馬毛島

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