2012-05

米軍、大型ヘリで馬毛島視察 - 2012.05.13 Sun

馬毛島問題など何も無いが如く平穏に暮らしていたのですが、やはり着々と事が運んでいたようです。

毎日新聞2012年05月12日
離着訓練移転:米軍、馬毛島視察へ 所有者側と調整
http://mainichi.jp/select/news/20120512k0000e010200000c.html

西日本新聞 2012年5月12日
米軍、馬毛島視察へ 防衛省が所有会社と調整
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/301786
毎日新聞と西日本新聞の記事を抜粋します。

★「馬毛島が訓練地として適していることを日米で再確認し、移転に向けた「地ならし」とする狙いがある。」
 (4月5日現在) 209,188筆の署名が集まっており、馬毛島が訓練地として適していない事が明確になっています。
また南日本新聞が鹿児島県民を対象に実施したRDD方式電話世論調査(携帯電話ではなく固定電話による聞き取り調査)でも騒音や事故懸念で馬毛島訓練施設「反対」52%の結果が出ています。

琉球新報 (2012年5月10日)によりますと  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191001-storytopic-11.html
県民の決意揺るがず
「普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、「撤去すべきだ」「県外移設」「国外移設」が計89%を占めた。鳩山政権の辺野古回帰の際の84%を超え、同種調査で過去最高の数値だ。「県内移設ノー」は一層鮮明になった。」
受け入れ難色の本土
「在日米軍基地の74%が沖縄に集中していることをめぐり、県民の69%が「不平等だ」と答えたのに対し、全国調査では33%と半数以下にとどまった。
住んでいる地域に在沖米軍基地が移されることへの賛否を全国で問う設問で、賛成は24%だが、反対は67%に上った。
米軍基地集中を「不平等」と回答した人のうちでも、自らの地域への基地移設反対は69%に上る。
沖縄の過重負担を一定程度理解しても、基地受け入れには難色を示すのが本土の民意の現実だ。」

 馬毛島周辺地域の人も本土の人も沖縄の問題を共有し多くのことを学ぶべきだと思います。
多くの人は米軍基地を歓迎していません。
戦争のない平和を望んでいるのです!!!

★「政府関係者は「馬毛島を活用する前提として、米軍に見てもらうことには意味がある」と指摘。訓練移転の実現に向けたステップと位置付けている。」
 どのような意味合いがあるのかまったく理解が出来ません。

★「馬毛島は硫黄島に代わる恒久的な訓練施設の最有力候補地とされている
2011年6月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の文書に明記されており、同省は本年度予算で調査費約2億円を計上した。」
 馬毛島はFCLP基地として建設されれば恒久的な訓練施設となり後戻りは出来ません。
今年度の予算が2億円でも今後、建設されるまでの経費は巨額になることは確かな事実です。
巨額な国民の税金を使う優先順位は他にあるのではないでしょうか。

★「協議関係者などによると、交渉は昨年11月に中断したが、同省側からの打診でタストン社と今年3月下旬、双方の幹部が出席して交渉を再開。」
 森林法違反(無許可開発)の疑いがある会社と密かに防衛省は交渉していたんですね。
馬毛島問題 県、許可取り消し保留 3度目の現地調査要請へ  南日本新聞  2012 02/24
http://www.47news.jp/localnews/kagoshima/2012/02/post_20120224074929.html

★「現地視察は大型輸送ヘリで直接上陸する方法を検討中で、関係者は視察は40〜50人規模になる見込みで、早ければ5月中にも実施する可能性があると話している。」
 これは米軍を招いての本格的な現地調査だと思います。
防衛省が作ったシナリオに米軍がOKを出せば本格的に馬毛島は米軍空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)移転計画が進むでしょう。
新聞発表が5月12日で米軍による現地視察が早ければ5月中、あまりにも急展開過ぎます。

米軍基地誘致を圧しすすめる為に、交付金が下り経済効果がある、中国、北朝鮮の脅威に備えなければいけない、などの情報が錯綜していますが、それらの情報に惑わされる事なく反対運動を拡充していきましょう。

よく言われることですが
「備えあるところに弾は飛んでくる。備えのないところに弾は来ない」




また伸びた署名数と防衛大臣への抗議活動 - 2012.04.26 Thu

米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会は、平成24年2月24日(金)に総会を開催し、来年度の事業計画で、防衛省に対して活発な要請(抗議)活動を行う事を確認しています。
討議の主な内容は「1月に田中直紀防衛大臣に交代してから、要請活動がなされていないことから、「直接地元の意思を届けることが必要である。」(荒木(屋久島町長)副会長)、
「今度は防衛大臣へ直接意志を伝えなければ。」(梶原(南種子町長)副会長)との意見により、速やかに田中防衛大臣に要請活動を行う」
その結果5月に要請(抗議)活動を行う事になったのだと思います。

問責決議が出されるような大臣に会ってもしょうがない気もしますが、防衛官僚の人たちに伝える事も大事だと思います。
今年の2月で反対署名数が約17万筆だったのが4月に20万9000筆になったようです。
これからは、米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会で話し合われた「・広報・学習活動を行い、住民のみなさんの意識の高揚に努めます。」を軸に、地元の署名数をもっと伸ばす事が重要だと思います。

【動画】「馬毛島問題 5月中にも再び防衛相と面会へ」    KTSニュース   2012年04月25日
http://news.ktstv.net/e30632.html
西之表市の馬毛島にアメリカ軍の訓練の移転が検討されている問題で、西之表市の長野力市長は、来月中にも防衛大臣と面会し、あらためて移転反対の意思を伝える考えを示しました。熊毛地区の市長や町長らでつくる「対策協議会」には、今月5日現在、20万9000人分余りの反対署名が集まっているということです。


「馬毛島写真展」終了しました。 - 2012.03.26 Mon

「馬毛島写真展」は、おかげさまで、一週間の日程で無事、終了致しました。
あまり告知が行き届かなかったにもかかわらず、予想以上の多くの方にご来場いただき、盛況のうちに幕を閉じることができました。
昭和中頃の暮らしぶりを懐かしく回顧される方、美しい島の自然に感動される方、人々生活史がかつてそこにあったことに驚かれる方、ご高覧いただいた方々の反応はさまざまでしたが、やはり共通して、馬毛島の文化と自然を守っていかなければいけないとの思いを抱いていただけるきっかけとなりました。
開催に際し、貴重なお写真を拝借させていただ皆様、ありがとうございました。


来場された方のメッセージを一部掲載させていただきます。

・こんな島があったなんて!が、まず最初のおどろき。本土で知っている人は、歴史学者くらいでしょう。いつの世も、国に翻弄される者たちがいて、苦しみがあることに心が痛みます。もっと広く世にしらしめて下さい。

・鹿の成長の様子を見て、厳しい自然環境の中で懸命に生きる姿が見られました。人間に生まれず、このような島で生活することになっていれば、このような世界を目のあたりにすることができたと思いますが・・・。このような美しい自然が、いつまでも続いていくことを願います。美しい文化と自然をありがとうございました。

・まだ学校が存在する頃、馬毛島に遊びに行き、イソモノを5㎏ゲットした事があります。あの頃の海草がユラユラゆれる中にイソモンが大きく大量に生息していたことを“夢”?とも思えるほどです。本当に馬毛島は時代の波にいつも利用され、金もうけに悪用されようとしてきて、今に至っています。馬毛島の自然を守ることは、人間を守ることにもつながることです。金に目がくらむ人たちの手に絶対に渡してはなりません。みんなでこの島を守れるように声を広げたいですね。

・昭和初期から半ばの頃の島の生活がかいま見れました。「懐かしかねぇ」と、くいいるように写真の細部に目をやるお年寄りの姿が会場にありました。自然とともに、自然を敬い、自然の幸を得て暮らしていた時間は、決して遠い昔の物語ではありません。この島が、米軍基地へと姿を変え、固有種である鹿を絶滅させ、過去の歴史をぬぐい去ってしまい、果ては種子島や屋久島を始め、三島や奄美などの離島で生きる人々の細々とした穏やかな暮らしを戦闘機の騒音でおびやかすなどという国の方針は間違っていると思います。今こそ、私たちは馬毛島から学ぶことがたくさんあるような気がします。

・人がいなくなり、森が壊されてしまった現在の馬毛島の姿は、ひとつ間違えば、未来の日本の姿になるかもしれません。この写真展はそのことの警鐘を鳴らしてくれているのではないか、と思いました。モノクロ写真に写った子供たちの笑顔、その素朴な笑顔はもう戻ってこないのでしょうか?人がいなくなった島で、ブルドーザーの音に恐怖を覚えながら生息し続けた鹿たちの悲しげな声が聞こえてきます。これ以上、この島を破壊してはいけません。馬毛島が元の緑と子供たちの笑顔を取り戻せるようにしなくてはいけないと心から思いました。


馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島

馬毛島写真展開催、屋久島にて

馬毛島写真展開催、屋久島にて
会場の外から見える風景



ネットでも見れる馬毛島の風景・古写真 - 2012.03.19 Mon

ふるさと種子島http://www.furusato-tanegashima.net/index.htmlの管理人の方から了解を得てネット上で
馬毛島の風景・古写真
http://www.furusato-tanegashima.net/tg/mageshima-now.html
を紹介する事ができました。
貴重な写真が数多く掲載されていますのでどうぞ、こちらもご覧下さい。



馬毛島写真展開催、本日より屋久島にて - 2012.03.17 Sat

馬毛島写真展



翻弄され続ける宝の島 馬毛島の歴史

 種子島の西12キロ、屋久島の北およそ40キロに位置する馬毛島は、黒潮の恵みを受けた豊かな漁場として、あるいは種子島家家臣の猟場として、さらには、磯もん採りで過ごす人々の憩いの場や子供たちの環境学習のフィールドとして、長く熊毛の奥座敷的な存在でした。そこには、ウミガメや巨大なヤドカリ、数種類のメダカ、そしてアカショウビンやヒバリなど400種以上の野鳥が集い、固有種とされるマゲシカが駆け回るまさに「宝の島」でもありました。
 この馬毛島に本格的に人が住み始め集落が生まれたのは戦後になってからです。人口増加の受け皿として、また食糧生産源として、日本政府が開拓を奨励した結果、最盛期には528名(113世帯)の人々が暮らしを営む島になりました。小中学校もでき、人々は主に稲作やサトウキビの栽培、トビウオをはじめとする漁業、薬草や海藻を採取して生計を立てていました。
 しかし、1960年代になると、国は方針を覆し、とりわけ米の生産量を削減。1970年代には、投資家が徐々に土地を買い上げ、住民は次々と土地を手放すことになり、1980年には島の学校も閉鎖され、馬毛島は無人島となりました。
 その無人化した島をめがけて、次々と開発の青写真が構想、導入されては消えていきました。観光開発(「馬毛島海洋レジャーランド」)、自衛隊のレーダー基地(1983年)、石油備蓄基地(1984年)、核燃料中間貯蔵施設(1999年頃)、日本版スペースシャトル「ホープ」の着陸地(1990年後半から2008年)・・・そして米軍艦載機FCLP離発着基地(2011年~)。
それは、まるでこの島が多くの投機的投資の対象とされ捨て去られ、行方も定まらないままに翻弄され続けた無情の時の流れとも言えます。そして今、新たに軍事利用へと舵をとられようとしています。
 所有権が(99%以上)が一開発会社に集中した結果、行政や研究者、ジャーナリストが調査を希望しても、その扉は堅く閉ざされたままという状態が続いています。いつの間にか、10年前には441ヘクタール存在していた緑豊かな森が10分の4まで縮小され、そこに悲しみの十字架のように長い2本の滑走路が交差しているのが現状です。
 かつてこの島には、トビウオ漁やサトウキビ栽培に励む漁師や農民の姿があり、磯もん採りに夢中になる子供たちの笑顔がはじけていた時代があったこと。それが、そう遠くない頃のことであったこと。この島に住んでいた人々の歴史を私たちは忘れてはいけないと思います。
 この写真展は、種子島鉄砲館を始め、種子島在住の多くの方のご協力によって開催することができました。ここに改めてお礼を申し上げます。

馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会


#2 沖縄に学ぶ馬毛島の将来 - 2012.03.08 Thu

馬毛島の軍事施設化を許さない為にも、全国に135もある米軍基地から多くのことを学ばなくてはなりません。

「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」という書籍情報社出版、須田慎太郎(写真)、矢部宏治(文)、前泊博盛(監修)という沖縄の歴史と現状を分かりやすく説明した本に出合いました。

これからその本を参考に「沖縄に学ぶ馬毛島の将来」と題し書きたいと思います。
一部引用させていただきます。

#2 沖縄には、6人の帝王がいた

マッカーサーは連合軍西南太平洋方面総司令官として太平洋戦争を指揮。戦後、日本占領連合国軍最高司令官として日本に駐在、占領政策を統轄し帝王のように振舞ったといわれています。
1972年沖縄返還までの占領期、27年間に沖縄を統治するため6人の帝王(民生副長官、高等弁務官)が米国政府のトップとして絶大な権力をふるいました。
「運命の人」にも出てくる実話として1953年から始まった民有地の強制収用という有名な事件がありました。
戦後荒廃した土地を農地として8年間かけて再生したのに、米軍基地を造るため抵抗する住民に対して銃をつきつけ、ブルドーザーで家や畑を踏み潰した事などほんの一例です!
帝王達の主な発言
1946年 「米国軍政府はネコで、沖縄はネズミである。ネコの許す範囲でしかネズミは遊べない」
1954年  琉球政府主席を議会で決めたことに関して
      「主席公選は、民政府長官(米国)が決めるべき問題で、立法院はそれについてなにも権限は持っていない。米国の使命に反しない限りにおいて、施政権を琉球政府にゆだねるのが米国の政策である」
1968年  「もし住民が基地の撤去や縮小を求めるならば琉球の社会は、イモと魚に依存したハダシの生活に戻る事になる」
911テロ(2001年)直後に当時国務省副長官だったリチャード・アーミテージが、パキスタン政府に対して「米国に協力しなければ爆撃して石器時代に戻してやる」と脅迫した、とパキスタンのムシャラフ大統領が記者会見で語ったとのことが思い出されます。
 1956年に那覇市長になった瀬長亀次郎氏(反米共産主義者とみなされていた)は、市長選で再出馬を出来ないよう選挙法を変えられたり恣意的な罪状を設定されムーア高等弁務官に追放されました。
このことに関してアメリカ人記者は「アメリカは沖縄に選挙権を与えはしたが、アメリカの気に入らない人間が当選すると、法を変えて退ける。これがアメリカの言う“すばらしい民主主義というものか”」と、沖縄の人が言った言葉を本に掲載しました。
2012年2月に行われた宜野湾市長選をめぐる「講話」問題で、更迭やむなしと言われていたのが結局は2012年3月6日付けの沖縄タイムスで「真部氏更迭見送り 違法性確認されず」 で終結し、真部氏そのまま続投です。
馬毛島問題に当てはめれば、今、1市3町の首長は米軍基地移設断固反対の立場を貫く事を住民に約束していますが、これからはかなりの圧力がかかってくる事が予想されます。
“すばらしい民主主義”を守る為に住民と首長が協力しなければなりません。
話は飛びましたが、
1984年に渡米した大田元沖縄県知事は瀬長氏を追放したムーア元高等弁務官に取材すると「あれは自分がやったというより、地元の経済界の人たちから何度も頼まれてやったことだ」「私としては沖縄の地主たちと、土地を欲しがっていた私のボスの双方が満足できるよう努力したが、なかなか難しい仕事だった」と話した。
今現在沖縄県民の91%が基地の縮小・撤収を要望していると言われています。
残りの9パーセントはどのような人たちなのかが分かります。
日々の生活の中に騒音、犯罪などが身近にあればこそ沖縄県民の91%が反対しているのでしょう。
もちろん馬毛島周辺地域の方も実情を知る事が大切だと思います。
 韓国ではすでに米軍基地の縮小・撤収が進んで、基地全体は3分の1に縮小されています。
フィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地はベトナム戦争のときの主力基地であり、アメリカ国外最大の規模を誇っていましたが、フィリピン政府の要請によって1991年に全面返還されました。
韓国のソウル と北朝鮮のピョンヤンとの 直線距離は195km、中国とは陸続きで北京までの直線距離は953kmです。
東京と北朝鮮のピョンヤンと の直線距離は1286km、東京から北京までの直線距離は2094kmです。
韓国で米軍基地の縮小・撤収が進んで、基地全体は3分の1に縮小されているのに、遠く離れている日本に米軍基地の縮小・撤収が出来ないはずがありません。
馬毛島が136番目の米軍基地になる事などありえないと思います。
少数の利益集団に振り回されているのです。



本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること
「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」
http://www.shoseki-johosha.com/?p=4   書籍情報社
書かれている内容もさることながら写真もトテモ素晴らしい本です。
皆様もご覧になってください!


馬毛島移設問題対策協議会が開かれました。 - 2012.02.27 Mon

種子島・屋久島の1市3町で作る対策協議会が2月24日鹿児島市で開かれました。
西之表市の市長で対策協議会の長野力会長は、「この問題については歴史上、大きな課題に直面し、大きな岐路に立っていると言っても過言ではない。引き続き連携を取りながら取り組みを推進して頂きたい」と会の冒頭話し、また「新たに防衛大臣も変わったので、大臣の方にしっかりとした形で私どもの考えを伝えるのが大きな目標。地域住民以外の人たちからも自主的に署名がきている。署名をして頂いた人たちの気持ちはしっかりと受け止めながら進めていければと思う。 常に反対の意思を伝えていきたい」
他の意見としては「政務官や副大臣ではなく、防衛大臣と直接会うという強い姿勢を持つべきだ」
荒木耕治屋久島町長は「担当大臣も代わった。地元の取り組みを全国に伝えるべきだ」
 反対署名については、種子島屋久島の住民による署名が2万5271筆に上り、全体で18万576筆に達したことが報告されました。
1市3町の地元自治反対署名はまだ55.2パーセントですが、米軍訓練基地誘致、FCLP訓練とはどのようなものなのかの説明が周知徹底しないままの署名活動でした。
他県で行われているFCLP訓練などの実情を理解出来ればもっと増えると思います。
総会では、反対集会の「しかるべき時期の実施」や、県本土の自治体との連携強化などが決りました。

馬毛島問題が表面化してから約8ヶ月が過ぎました。 
その間、北沢防衛大臣、一川防衛大臣、田中防衛大臣と3人目になり、またいつ変わってもおかしくなく流動的です。
馬毛島への米軍訓練基地移設断固反対の決意の固い1市3町首長と共に頑張りましょう!

2月26日の琉球新報に、2004年に沖国大にヘリが墜落したときも「やっぱり」と思った。「民間地の上空で戦争の訓練をしていること自体、異常。復帰はしたが、半植民地だ」と語気を強める。
と、書かれています。
沖縄以外でも日本各地で日常的に多くの低空飛行訓練(敵地を見立てた低空での戦闘訓練)が行われ、日米地位協定があるがために住民の声が阻まれ、抗議しても常に住民は泣き寝入りの状態が続いています。


在日米軍再編:FCLP馬毛島移転 「国に移転反対伝える」1市3町の首長ら確認 毎日新聞 2012年2月25日
http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20120225ddlk46010640000c.html

防衛相に直接反対表明…馬毛島移転で首長ら調整   2012年2月25日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kagoshima/news/20120224-OYT8T01011.htm

防衛大臣に直接反対の意思表示を   2/24 19:22 KYT鹿児島読売テレビ   
http://news24.jp/nnn/news8721764.html


馬毛島問題、県の対応に期待します。 - 2012.02.24 Fri

鹿児島県は馬毛島を大規模造成し、県の現地調査を拒否している開発会社「タストン・エアポート」(東京)と関連2社に対し、林地開発許可の取り消し処分方針を保留し、同社の求めに応じて担当職員を替えて、現地調査を再要請する方針を23日の県議会代表質問で明らかにした。再び拒否すれば許可は取り消すとしている。
2月3日に鹿児島県がタストン・エアポートの立石勲会長に行った聴聞で、現地調査を拒否した理由について、平成22年の5月、西之表市の漁師らが森林法違反の疑いで会社側を刑事告発した事を挙げ、「告発の2か月前に立ち入り調査を行った県の職員が、漁師らに島内の情報を流した。情報の漏えいを防ぐために拒否している」と返答した。さらに「情報を流した職員以外であれば明日にでも立ち入り調査を認める」と話した。
(引用終わり)

会社側は「前回、立ち入り調査をした県の職員4人が情報を外部に漏らした」 
県は  「職員に守秘義務違反の行為はないが調査をするためには、人を変えざるを得ない」
会社側にとってどんな都合の悪い情報だったのか知りたいと思うのですが、県としては開示できないのでしょうか?
その後の裁判にも影響したのですから県民としては是非とも知りたい情報です。

2008年には下の写真のように乱開発されていたわけですからそれ以前の段階で何故、開発許可申請を取り消しできなかったのでしょうか?
県環境林務部は違法開発が確認されれば、森林法に基づく復旧命令を出すことを検討するそうですが、どの程度の復旧なのでしょうか。
大いに期待したいと思います。
先日の「馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会」の学集会で乱開発以前の話が聞けました。
「昔、食料飢饉に備えでんぷんが多く含まれる蘇鉄が大量に植栽された」「姫百合がいっぱい咲いていた」「まったく山がないのに真水が流れ、小川にはメダカやオタマジャクシが住んでいた、その真水は屋久島(種子島、屋久島と水深80mに満たない浅い海底でつながり)の伏流水ではないか」
などの話が聞けました。
学習会の詳しい内容は後日、当ブログにて報告します。


PS
朝この記事を書いたのですが夕方の南日本新聞によれば、
許可取り消しの根拠が、許可地の調査拒否だった為、応じた場合、取り消し処分はしない方針。 無許可開発が確認されれば、開発の中止指導が一般的だがタストンエアポート社は現在、工事をしていない。
鹿児島県は「何らかの措置が必要で、開発前の状態にする復旧指導も検討する」としています。
許可取り消し保留とはこの事だったんですね。
鹿児島県には滑走路建設でズタズタされた馬毛島の小川にメダカやオタマジャクシが住む復旧指導を10年かかってもいい、20年かかってもいい、必ず実行してもらいましょう!!!

昔の馬毛島

2008年7月の馬毛島

【動画】馬毛島問題 条件踏まえ立ち入り調査へ  2012年02月23日 KTSテレビ
http://news.ktstv.net/e29287.html

馬毛島開発会社の許可取り消しを保留 鹿児島県  2012年2月24日 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/288634

馬毛島森林伐採許可巡り県が再調査へ       2012年2月23日 KYT鹿児島読売テレビ
http://news24.jp/nnn/news8721761.html


#1 沖縄に学ぶ馬毛島の将来 - 2012.02.22 Wed

TBSテレビ制作の山崎豊子原作「運命の人」が今、話題になっているらしい。
地上波の見られないところ(そんなところは日本に無いはずですが?)に住んでいるので単行本で読みました。
1970年代に行われた沖縄返還交渉で密約があったのかを取り上げたノンフィクションモドキです。
1945年3月26日から行われた米軍上陸による地上戦で、沖縄の住民の4人に1人、10万人弱が犠牲になった話や、地上戦により荒廃した農地を終戦後、住民が復元したのに米軍に強制的に土地収用されたり、1995年に起きた3人の米海兵隊員らによる小学6年生への集団暴行事件など、改めて不条理な沖縄問題に接しました。
そして「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」という書籍情報社出版、須田慎太郎(写真)、矢部宏治(文)、前泊博盛(監修)という沖縄の歴史と現状を分かりやすく説明した本に出合いました。

これからその本を参考に「沖縄に学ぶ馬毛島の将来」と題し書きたいと思います。
一部引用させていただきます。

#1 ペリーはなぜ、最初に沖縄にきたのか

1853年ペリーが東京湾の浦賀にあらわれたことがきっかけで日本中が大騒ぎになり、「幕末」が始まります。
ペリーが幕府を恫喝して強くせまり、そして数多くの歴史ドラマが生まれ15年後には明治維新となりました。
それまでの江戸時代はだいたい人口3000万人を維持していました。
それは貿易があまり無く自給自足分の食料しか生産しなかったからだと言われています。
ペリーはアメリカから北大西洋回りでアフリカのケープタウンに寄港しインド洋を渡り、マラッカ海峡を通過し、上海にも寄港し沖縄に1853年に上陸しました。
ペリーは海兵隊とともに沖縄に上陸し、その海兵隊の兵士ウイリアム・ボードが現地の女性に暴行を働き、怒った住民に殺されたり「最初の米軍基地」を造ったりしました。
ペリーは隊員とともに沖縄の奥地に入り、つくった地図や海図が92年後の第2次世界大戦末期の沖縄上陸作戦で使われたそうです。
ペリーは沖縄に足場をつくった後1ヶ月かけ江戸に到着しました。
途中で種子島、馬毛島、屋久島に立ち寄らなく本当に良かったと思います。
ペリーはなぜ沖縄と日本の開国を重要視したかは、中国に大接近していたイギリス(アヘン戦争に勝利し香港を手に入れた)に対抗するためだったようです。
大西洋回りの航路だと数ヶ月かかりますが太平洋回りだと最短で20日間だそうです。
海軍基地をつくるために日本と沖縄が必要だったんです。
今と一緒でびっくりします。
地政学上、すでにアメリカの対中戦略に日本が159年前に着目されていた事になります。
 
馬毛島の米軍訓練基地誘致計画で種子島の小さな集落で賛否が分かれ数百年続いた正月の伝統行事が中止になったそうです。
地域の大切な絆が破壊されてきています。
これ以上破壊しないで戻すためにも軍事費を減らし、基地を減らし、平和外交を推進するしか道はありません。

本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること
「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」
http://www.shoseki-johosha.com/?p=4   書籍情報社
書かれている内容もさることながら写真もトテモ素晴らしい本です。
皆様もご覧になってください!


反対署名、約17万人に - 2012.01.29 Sun

在日米軍再編:FCLP馬毛島移転問題で 九州・沖縄の平和団体や労組が西之表市長に9万1912人の反対署名手渡しました。
それに加え近日中に約1万4000筆もの追加署名も届けるそうです。
これまでに県議会と12市町村議会でFCLP馬毛島移転反対が決議されていますが、県内全自治体も反対決議がされるよう陳情活動をするそうです。
恥ずかしながら九州・沖縄8県の平和運動センターがこのような活動をしてくれているとは知りませんでした。
本当の意味での「絆」を強く感じました。
一般市民 (地域住民など) との対立軸として政府、省庁の役人、受益企業などがありますが、それらと「絆」の構築は出来るのでしょうか。
出来るとすれば一般市民の要望に答えるしかありません!!!
 10月20日に1市3町の首長は防衛省を訪ね神風政務官に島内外70072人の反対署名簿を渡した。
70072人(10月20日)+91912人(今回)+約14000人(追加分)=約17万人になります。
九州・沖縄8県の平和運動センターや労組団体の方々ありがとうございました。
 
「馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会」のオリジナル署名用紙で集めた反対署名総数が13000筆を超えていますが、これを機に、種子島、屋久島の地元4市町で構成する米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会が作成した署名用紙を使って、署名活動を行うことにしました。
引き続き「馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会」のオリジナル署名用紙も回収します。



在日米軍再編:FCLP馬毛島移転 九州・沖縄の平和団体や労組、西之表市長に9万1912人の反対署名手渡す 
2012年1月28日 毎日新聞 鹿児島
http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20120128ddlk46010571000c.html

馬毛島移転、10万人反対署名 九州の平和団体  南日本新聞  2012 01/28
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=37986

馬毛島問題で平和団体が9万人の署名届ける  KYT鹿児島読売テレビ  2012年1月27日
http://news24.jp/nnn/news8721648.html


NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

  NO  BASE  馬毛島

Author:  NO BASE 馬毛島
このブログは「馬毛島の軍事施設化を許さない屋久島の会」の公式ブログです。

運営、管理 金澤 尚

カテゴリ

公式声明文及び抗議文 (8)
それぞれの思い (51)
集会のお知らせ (6)
沖縄に学ぶ馬毛島の将来 (2)
馬毛島の写真 (4)
騒音撒き散らすタッチ&ゴー (4)
南日本新聞 (2)
南日本新聞 2007~2010 (0)
西日本新聞 (1)
TBSニュース動画 (0)
赤旗 (0)
毎日新聞 (1)
読売新聞 (2)
聖教新聞 (1)

リンク

このブログをリンクに追加する

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR